| KAJI家のれきし。 |
資料不足なりに整理してみた。
| 約450年程前。 | 桶狭間の合戦の頃。 尾張に住んでいた、ぺーぺーのとある人が何故か織田家に仕え始める。 KAJI家興す。 |
| とある日 | 織田の殿さん(のぶなが)が、花見の席で自分の杯に、桜の花びらが入ったという些事でブチ切れる。 初代が、歌を詠んで機嫌をとる。桜の家紋をもらう。(知らない間に替わる。) |
| 1570年 | 姉川の戦い。 後、池田恒興と共に犬山城にとどまる。 |
| 1575年 | 長篠の戦い。参戦。 |
| 1579年 | 池田家と共に摂津伊丹城に入る。 |
| 1580年 | 花熊城の合戦。えらい人2人潰して手柄を立てる。 恒興の息子の池田輝政に仕える。家来もらう。 |
| 1584年 | 猿顔のおっちゃんと、狸おやじ(いえやす)の戦い。(小牧・長久手の戦い) 池田輝政と共に出陣。一緒にとんずらする。 恒興が死んだため、代わりに輝政が岐阜城に入る。 初代死ぬ。 息子、300石もらう。 |
| 1590年 | 吉田城に移る。 600石もらう。 |
| 1600年 | 天下分け目の合戦で、池田家と一緒に徳川方について勝ってみる。 |
| 1601年 | 池田の殿さんと一緒に、姫路に行く。1200石もらう。 |
| 1603年 | 輝政の息子、利隆と共に備前岡山に入る。 2000石貰ってみる(息子は400石)。 なんちゃって家老になってみた。 |
| 1613年 | 輝政が死んだため、姫路に戻る。 半年後、2代目死ぬ(殉死?) |
| 1614年 | 大坂冬の陣。 マジ切れしてみる。人殺しまくる(13人)。 |
| 1616年 | 利隆死ぬ。 池田光政が城主になるが、幼少のため2年後、鳥取因幡へ飛ばされる。 |
| 1632年 | 備前藩主の光政の叔父が毒饅頭食って死んだため、岡山へ国替え。 国替え時の責任者になってみる。 |
| 1648年 | 4代目、手紙を忘れて、責任をとって自ら切腹。俗に言う「お家の危機」。 殿さんの計らいで、潰さずに5代目に60石。 その後500石に復帰。 |
| ある日 | 大石良雄(内蔵助)のいとこを嫁に貰ってみる。 |
| とある日 | 和田村に神社を建てる(足王神社) |
| いつか | 痘瘡神に相撲で勝つという伝説が続日本随筆大成に記述あり。 |
| 1856年 | 世に有名な渋染一揆が起こる。当時、その現場の郡代。訴状を受け取らなかった。 |
| めーじ | (13代目) 蝋燭の不始末で屋敷燃える。 土地売っちゃった。(跡地:岡山市立総合病院) 大坂に転居。 |
| ある日 | (13代目) 国鉄に就職。将棋してて、踏切を上げ忘れて怒られる。腹いせにやめる。 京都の水道局に就職。インクラインを設計。 |
| ある日 | (14代目) 菩提寺の坊さんのアドバイスで府会議員になってみる。 阪和道、大坂モノレール、関西国際空港の建設を発案してみたりする。 (2回ほど府議会議長を務める) |
| ある日 | 親父、パスポートとって沖縄行ってみる。 |
| 1978年 | 親父と母親結婚。共に備前の士族の先祖を持つ。 最初の成田発の飛行機に乗って新婚旅行に行ってみた。 |
| 1985年 | 馬鹿息子、KAJISADA誕生。 |
| 1989年 | 東京進出。浦安に住んでみた。 KAJISADA、劇団入る。 |
| 1992年 | 自衛隊近くに転居。 |
| 1998年 | 理事長が気に入らなかったので劇団辞める。 |
| 1999年 | KAJISADA、適当にホームページを作ってみた。現在に至る。 |
注意:史実とは異ならない筈ですが、若干のアレンジを加えて表記しています(笑)